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【連載】JIAデザイントーク

JIAデザイントーク

●2008年度 第5回デザイントーク
開催日:2009年3月18日(水)
コメンテーター:本多友常、松本明、吉村篤一
司会:青砥聖逸
発表者:大薮義章、岸 一
会場:大阪市中央公会堂地下大会議室



■大薮義章氏(大薮義章建築計画所)
発表作品/「House plus@jp」(大阪府)、「Double House」(大阪府)


■岸 一氏(アトリエジグソー)
発表作品/「掛川市城下町風まちづくり事業計画」(静岡県掛川市)

掛川市城下町風街づくり事業計画
本計画は、昭和59年度に静岡県掛川駅北土地区画整備事業決定に基づき計画されたまちづくり事業である。掛川城天守閣復元事業決定に伴い、平成3年度よりふるさとの顔づくりモデル地区として指定し、以後掛川城下町風街づくり事業として現在も継続している計画である。
当時掛川市より、城下町風にふさわしい街並のイメージ景観図を描いて欲しいという依頼があった。「城下町風街づくり計画」と称したこの計画には、城を中心として広がる掛川のまちをより魅力あるものにしたいという思いが込められており、これを実現するために行政や地権者の意見をまとめ、皆が思い描くイメージを“かたち”にして欲しいというものであった。またその絵にはすべて実現性があり、かつ景観として美しく正確なものにして欲しいという要望も付け加えられていたのである。
こうして試行錯誤を重ねて完成した1枚の景観画は、後々「掛川市城下町風街づくり事業計画」の実施に向けイメージリーダー的存在となり、強い影響力を持つことになる。
景観画を囲んでの最初の地権者説明会では、それぞれの区画に基づいた絵が地権者全員に配布された。ここにはじめて行政と市民、そして設計者が共通の視点に立つことができ、景観画で進める城下町風街づくり計画がスタートしたのである。
絵から始まった街づくりがこのように成功したのは、3名のキーマンが存在したからではないだろうか。それは私のようにイメージを絵に描ける人、地域で強いリーダーシップをとれる人、そして計画地の環境・文化・歴史・地域特性に熟知した人であり、彼らの熱意が地権者の心を動かし、まとめられたのだと言えよう。

その後本エリア内においては、店舗・銀行・共同住宅・戸別住宅・消防署・駐車場・大手門・公園・景観サインなど様々な設計デザインを手掛け、掛川城を中心に東西約400km南北150mを描いた景観画からは、今も現実の建物が建ち続けている。

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掛川市城下町風街づくり事業計画桝忠呉服店新築計画
本計画は、静岡県掛川市旧東海道沿いに計画した呉服店と住居の兼用建築である。現存する店舗は250年以上の歴史を持ち、当時の面影をそのまま残す歴史的建造物としても大変貴重な建築物といえる。それ故にこの再生計画は、古き良き空間や材料を生かして歴史と伝統の継承をはかり、そこに今日の建築が融合するような新城下町風建築を目指したのである。
旧店舗は旧東海道と掛川大手線の交差点に位置していたのだが、掛川駅周辺区画整備事業計画により西へ約15m_移転することがすでに確定しており、現存する伝統的建築をいかに再生し、また後世に継承することができるかがその後の城下町風計画の成功にもつながるとされる程大きな鍵を握る建築物であった。
建物は職・住が一体となった2世帯同居となることから、まず店舗を東南の角に配置して存在感を示し、庭園を囲んで落ち着いた環境の北側には住居、そして駐車場は相互の建物の間を利用して配置することで、快適な住環境の実現に配慮している。歴史を物語る旧東海道側の本棟は、構えをできる限り残すことで店の顔としての風格を保ち、特に2階の小屋組は保存状態が良かったので、ほぼそのままを残している。また敷地内にある2階建ての奥座敷は、かつて東海道を往還した大名が定宿として泊まっていた記録が残っていることから、使用可能な部材をできる限り再利用し、大工の力によりこちらも見事に再生している。そして残る最後の収納蔵は、約25m_西へ曳屋とし、この蔵と本棟を対比的に配置することで、新しい呉服店の顔として復活させている。

こうして歴史ある呉服店『桝忠』は、約250年ぶりに掛川城下町風街並みの核となる建築として見事に生まれ変わったのである。

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